理性のあるひと
言っていいことと言っちゃ駄目なことがある。やっていいことと、やっちゃ駄目なこともある。
その線引きは人それぞれっちゃぁ人それぞれなのだけど、その一線を越えるか越えないか、その差は理性だと思う。
理性は、あるないではなく
大なり小なりみんな持っていて、どっちにも転べる。
なんでこんな事が思いついたのかというと、つい先日しごとで「もう知らんー。今は店の責任者じゃないし、痛い目みたらいいやん」って、いわゆる悪魔の声がわたしのなかに囁きかけてきたから。そのままそちらへ転がっていくこともできる。
でも、ちょっと冷静になって考えてみればわかる。その先になにがあるか。
迷惑をこうむるのは、お客さんだ。
たいせつに、それなりにいろんなことがあって、お腹を痛めて(ちがうイミで)必死で育ててきたお店をくずしていいわけがない。ここをあてにして来てくれるお客さんもいれば、ここで働くことで子どもを育てたり学校に行かせたりしているお母さんたちがいる。
そういう風に、すこし先の未来を想像できるのは理性の力。
そしてその理性は誰にでもある。ちいさな子どもにもある。
その理性が働くか働かないかは、日々の暮らしが安定しているかどうかだと最近思う。
結婚してそう思うようになった。
お店の責任者をしていると、どうしてもハードワークになる。若いと、経験もないからとにかく働き詰めたりもする。それが当たり前と思うこともあったけれど、がんばればがんばるほど判断力は落ちて、自信もなくなりそもそも何がしたいんだっけ?と迷い込むことになった。
まわりは、「あなたはあなたのままでいい」といってくれても自分がそう思えなければ意味がなかった。
「自分が自分でいい。そのままでいい。」という自己肯定感はとても大事だと思う。自分に対する信頼感みたいなのは理性と繋がっているとも思う。
わたしの場合はたまたま、結婚がそこに繋がったというか、よいひとに恵まれたからよかったけれど、結婚がイコール安定とは思わない。
そういうことがサーーッと頭のなかを巡って、腑に落ちて、今は「さて、どうしようかな」っていうところ。
今日もこうしていられるのは、家族や友人、仲間、たくさんの支えあってのこと。自分をフルにつかって恩をかえしていきたい。
(あさからあいかわらずアツクルシイ)
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2017.12.13 07:01